沢登 丈夫 展 「0の会」の25年

2020.8.17.Mon 〜 8.23.Sun
11:00 〜 19:00
※最終日は17:00

個展によせて

1994年、母校 都立新宿高校の美術科教師 吉江新二先生の教え子有志が、恩師を囲んで美術グループ「0の会」を結成することになった。その立ち上げに誘われた私は、ろくに絵を描いたことがなかったにもかかわらず、これを機に本格的な制作に取り組み始めた。それから四半世紀、年に一度の0の会展もすでに25回を数えた。この間、吉江先生はじめ、多くの先輩が鬼籍に入った。私も今年77歳となる。25年にわたり描きためた作品をこの節目に振り返りたいという気持ちがつのり、今回、個展の開催を決めた。
行方不明になってしまった作品も数多い。だが、手元にあるものの中から自分の足跡をたどってみた。
さて、あと何年絵が描けるだろうか。

目次

  1. 静物
  2. 夜の街角
  3. 国道ナイトツアー
  4. ナイトツアー IN TOKYO

1.静物

吉江先生はじめ、藤田忠夫先生、張替眞宏先生、礒田幹先生といった錚々たるメンバーの中に、素人の私が入るのは勇気のいることだった。だが、礒田先生たちに励まされて、やっとレモンの絵を描き上げた。これが私の処女作である。はからずも、0の会を見に来られた森芳雄先生にお褒め頂き、この絵は森先生のところに嫁入りした。

2.夜の街

静物を描いているうちに、黒という色に強く魅かれ、何とか黒を活かした作品はできないものか、と考えた。当時、街中を車で走ると、夜の帳の中に浮かぶ明かりに心和むことが多々あった。その明かりは、コンビニ、コーヒーショップ、ガソリンスタンドなどのもので、真昼のような人工の光が溢れる一角は、周囲の闇の黒を際立たせていた。これらの店の看板は皆、横文字で、私は無国籍地帯に迷い込んだような感覚に囚われたものだ。

3.国道ナイトツアー

国道を走っていると、突如、青い案内標識の反射が目に飛び込んできた。それは、私が今、存在しているのは無国籍地帯ではなく、まさにこの地点なのだ、ということを示していた。
私はいつも使っている国道246号、20号、1号、4号を走り、これらの標識で「今、自分がそこに存在していること」を確認した。国道4号で二本松へ向かう途中では、3.11の東日本大震災被災地で働いている人たちに出会った。

4.ナイトツアー IN TOKYO

私は東日本大震災以来、「自分が生きている」ということを何とか絵に表現したいと思っていた。
スカイツリーが完成した2012年の8月15日、私はこの日が新しい日本のスタート、とばかりに自転車で靖国通りをひた走った。ナイトツアー IN TOKYOのコンセプトが頭に浮かんだのはその時である。かつて重大な出来事が起こった場所に同じ時刻に赴き、そこの現在の風景を描いてその時刻を描き入れる。それは、その場所に時間が積み重なった現在に自分が存在していること、生きていることの表現となるのではないか?
それから私は日本の近代における重要な出来事の起こった場所と時刻に注目して制作を始めた。人々が忘れてはいけない出来事を、なんとか留めたいと思いつつ。

略歴

1943年新宿区四谷生れ
1992年新宿高校卒
1969年東京大学大学院修了
1969年三菱化成(現三菱化学)入社
2004年三菱MKV退社
東京理科大学科学技術交流センター
2013年TS4312(画廊) 開廊 
2020年1月Galerie